2013年9月27日金曜日
三回目のフライデー
毎週金曜日の夜はデートの日。
どんなに仕事や学校が忙しくても、これから子育てがはじまっても、金曜の夜は二人でデートに行く伝統を作ろうということから始まったこの習慣。
まだ始まって3回目にしかならないけど
デートよりもなにも 楽しみはその間いろんな話ができること。
普段は仕事や学校、宿題、お互いにやることがいろいろあってゆっくり将来のことを話す機会が少ない毎日を送っている私たちだけど、こうしてゆっくりした時間にお互いの目標やふたりでやってみたい(現実離れした夢)話をすることがとてもたのしい時間。
今週はふたりではじめたい クリエイティブな小さなビジネスについて話した。
大学卒業を目前の私と、これから大学院に進学しようと考えているデビン、これからの進路を考えるとけっこう金銭面への不安が予想される将来だけど。そのかなで 若いうちからお金の使い方や節約の仕方を学べる(学ばさざるをえない。笑)この機会に感謝しないといけないと熱く語ってきたデビン。笑
しかーし、そのなかで小さいながらデビンが夢見ていること、それが
自分たちの小さなビジネスをたちあげること。とくに何かクリエイティブなおもしろいもの。一年単位、数年単位でもいいのでいろんなアドベンチャーをしてみたいと。
たとえば、
*タコライスショップをノースショアで開いてみる
*小さい図書館(?)
*釣りをはじめる(魚嫌いなくせに)
*使い捨てお弁当箱に宣伝広告をつけて飲食店と提携してどうのこうの。。。
*スペイン語を学ぶ(笑)
*その他もろもろ
などなど、ちょっとださいけど(笑)
人生を振り返ったときに子供や孫に自慢できる興味深いストーリーを持ちたいらしいデビン。
成功しても失敗して今だから、ふじかとだからできることがあるとかなんとか。笑
自分の可能性信じてなにかに挑戦するということはすてきなことだ
と語りだしたらとまらない。笑
片道1時間のCoscoへの道のり、わたしが口にしたのは”うん” ”へー” のこれだけ。
あとはずーっと将来の期待についてあつく語ってきた23歳。笑
ふたりでいろんな思い出を作りたいというのが昔からの願いだったらしい。
大学を心理学で卒業してこれから大学院にいくデビン。
心理学者というよりはビジネス方面の心理学を勉強したいということで、来年の4月にはここハワイから、アメリカ本州に移動する予定。
デビンが大学院にいったら、今度はわたしが家計を支える番。
そんなこと考えるとお金のこと、これからの生活のこと、子供ができたらどうするか、とか、日本の家族に何かあったらどうしようかとか
私の中では心配がいろいろあって自分の可能性、興味のあることより、お金が稼げて金銭面で安定する仕事を探していたわたし。
デビンのようなアドベンチャーなアイディアなんてこれっぽっちもなくて。
人生はただ働くスタイルと楽しんで働くスタイルがある。
リスクはあっても せっかく与えられた人生はを有意義にすごす必要がある。
人生の目的は幸せになることだから。
と、自称、名言をかまし(笑)
いつか天国で自分の人生をふりかえり、映し出されるスクリーンに安定しながらも退屈な人生をみなおすより、
リスクと戦いながらも自分の可能性に挑戦していろんな経験をしてきたすがたをみる方がぜったいおもしろい。と。
”自分の可能性を強さにしてそれをビジネスにする勇気。”
ふじかにだってふじかの興味のあることをしてほしいと。
デビンのお母さんばりばりの社長さんということもあり、女性が専業主婦というアイディアがこれっぽっちもないデビンにとって
日本人妻ふじか、専業主婦ではなくいち個人として社会に出る準備をしないといけないなーと感じた今日この頃。
文化の違い、育ちの違いってこういうところに出るんだなーとわかった日。
こうしてお互いの違いがお互いを学ばせてくれて
物事への視野を広げてくれるんだね。こういうところがおもしろい。
お互いの違いを違いとして受け入れる。
たまに理解できないところもあるけどそのときはそのとき。
国際結婚三週間でデビンからいろいろ学ばせてもらっています。
初の大喧嘩
喧嘩というより。。。いや、喧嘩か。やっぱり。(はずかしい)笑
原因はやっぱりミスコミュニケーションのかたまりなんだけど。
デビンはその方法を前々から私に伝えていたと。
でも私はよくわからなかったからお金払う前に確認しようとおもってメールしたんだけど
たぶんわたしの質問がつたわりにくかったのかな。
デビンもてっきりわたしがデビンの望んでいる方法で払うとばかり思っていたらしいからメールの返事では
「OK!」
だがしかーーーし、払った後判明した事実。
その方法が違ったということで
夕方それがわかりしだい
どっかーーーん。
感情的になるデビン、それに驚きを隠せないふじか・・・・・。
自分のコミュニケーション力のなさに悔しくて人前かまわず悔し泣き。笑 (泣き虫)

デビン「こんなところで泣かないでよーーーーーはずかしい。」
ふじか「でも、そんなに感情的にならないでいいでしょーーわからなかったものは仕方ないじゃん」
デビン「この間もいったじゃん。」
ふじか「だからメールして確認いれたじゃん」
その他省略(くだらないから)
。
。
。
お互いにいらいらと悔しさがたまり
感情的なデビンと感情的なふじか
泣きながらデビンの胸にパンチをかまし逃走する私を追いかけるデビン。
どっちもどっちで悪いんだろうけど
お互いにコミュニケーションをとるということがどれだけ難しいか身をもって実感しました。
帰ってからしばらく口をきかず、
私は夕方のクラスへ
デビンは死んだように昼寝して
帰ってきたころには熱が冷めお互い反省して
ちゃんと向かい合って話して(デビンの特技。さすが心理学者。笑)
お互いが理解したら
”ごめんねのはぐ”
どっちが悪くても悪くなくても
”ごめんね” とお互いにいうルール。
それからふたりでご飯食べて。おなかいっぱいになったふたりはごきげんになり、
国際結婚はつの大喧嘩をのりこえたというわけ。笑
やっぱりコミュニケーションって大事だなーとわかった日。
感情的なときは一時頭を冷やしてよく考えること。
そしてお互いが理解するまでよく話すことが大事なんだろうなー。
あーーーくだらない。くだらない。笑
いい勉強。 いい勉強。
2013年9月25日水曜日
文化の調整
国際結婚のいいところは
話す話題がつきない所。
お互いの知らないことが多いのでいつもいろいろ教え合える。
食文化にしても、病気のなおしかたにしても、価値観にしても、方法が結構違って
それが国際結婚の難しいところとも言えるけど
意外とそれがおもしろいこともある。
一番大切なことはお互いのどっちがいいか悪いかを判断しないで
ふたりの意見を”ちがい”として認め合うこと。
そのためには”話す”ことがすごく大事。
話せばどうして相手がそういう考え方をしているのかが見えてくる。
たとえそれが受け入れるに難しいことだとしても絶対に判断してはいけないと思う。
お互いの文化の違いを聞き入れる耳を持って、すこしでも調整し合おうとするときに
その違いが面白さへかわるんだとおもう。
それは簡単なことじゃないけど
わたしの選んだ道だから。
ま、国際結婚してなくても同じようなことが起きるんだろうけど
結婚の基本はそういうことなんだろうね。
一つ屋根の下にふたりの育ちも文化も違うひとたちが一緒に住む
そこには間違いなくたくさんのカルチャーショックがあり
たくさんの調整と理解が必要だと日々自分の身をもって実感中。
今日のチャレンジは
日本の毛穴すっきりパックとおしゃれぎょうざ(?)。
とれ味に不満があったみたいだけどたのしんでいたデビンでした。
すてきすぎる(笑)
2013年9月22日日曜日
決意と実行
9月22日(土)
今日は学校も休み&仕事もお休みになったということで朝から珍しく早朝ジョギングに炊事洗濯に命をかける学生妻。
ひさしぶりにこんなにゆっくりした週末を迎えることになんか違和感がありながらもひとりゆっくり掃除機をかけ、洗濯物をたたんで、食事作り。
なんだかんだで充実した午前中をすごし、時間があったので部屋の片付けにはげむ。
そんななかで昔なつかし半年前に最後に書いた日記帳を発見。
中をひろげて読んでいるといろいろ複雑な思いがよみがえってきた。
結婚を決意するまえの涙の日記。
一人っ子としての不安と戦っているすがたがたくさん書かれていた。
”11月15日
昨日、自分の決意を勇気を出してお父さんとお母さんに話した。お母さんもお父さんもふじかの決意にまかせる。といってくれたけど、電話越しでお母さんがずっと泣いていた。”娘の結婚を心から祝ってあげたいけどそれがハワイとなるととても寂しくなること。ふじかが忙しいとき、病気のとき、子供が生まれてもなかなかふるさとに帰ることができないんじゃないかと。
大切な一人娘をハワイに見送るってどういう気持ちなんだろう。きっと親になってみないとわからないんだろうな。
どんなに娘の選択を信じて自分たちの夢をあきらめたって言っていてもやっぱりつらいんだろうな。
どんなに応援してくれていることを知っても、世界一わたしのことを愛し、見守り、助けてくれた人の涙を目の前にするとどれだけ自分は最低な娘なんだろうと一人泣いた。”
”12月31日
久しぶりに迎える日本での年明け。
2012年最後の日はおばあちゃんの家でおせちの準備に終わる。その中でもんもんと自分の結婚という選択が本当に正しいことなのかずーっと考えていた。
まわりの人たちに私の結婚のこと、(国際結婚+ひとりっ子となると)を反対され、落ち込んでいた。
わたしをここまで育てるために両親がどれだけたくさんの犠牲をはらってきたかわかってるの!?と何人もの人に言われ、目がぱんぱんになるまで泣いた日本で過ごした2週間の年末やすみ。お母さんとお父さんの老後は誰が面倒みるの?なにかあったらすぐに来れるの?と。
何度も自分は親不孝の娘だと攻めつづけた一年。
沖縄でも同じ質問を投げつけられやっぱり悔しくてひとりわーわー泣いた。
夕方、お父さんが一緒に買い物にいこうと言ってきた。かねひで(近くのスーパー)でスパムがセールしてるということで一緒に買ってこようと。
買い物の帰り道、お父さんがお母さんと結婚したときの話をしてくれた。お父さんもお母さんもおじいちゃんの反対が大変で結婚の許可がおりるまで2年ぐらい待ったこと、その間におじいちゃんが病気したり、経済的な問題にあったりでなにひとつ計画どおりにいかなかったこと。でもお母さんとの結婚だったからこそあきらめないでその日を待てたと。
あれだけ待ったけど今その後悔は何一つないと言うことを話してくれた。
”大変だったけど正直、あの時間に感謝してるよ”
”おかげでもっともっとお母さんのことを尊敬できるようになった”と。
”お父さんはお母さんと結婚して本当によかったよ”といつもはこんなこと口にしないお父さんがこんなにお母さんのことを話している姿をみたのは、はじめてだった。
”だから、ふじかもデビンといっしょに結婚の準備をたのしみなさい。まわりが何と言ってもふたりが本当にそうしたいならそれを実行しないと後悔するよ。”と。
小さい頃からお父さんはふじかがなにも言わなくてもふじかの泣いている理由を知っている人だった。ふじかに何が必要なのか言わなくてもわかってくれる人だった。日本での2週間、現実と自分の気持ち、周りの人たちの意見にいっぱいいっぱいになって本当に苦しい時間だったけど、お父さんとこうしてはなせたおかげで今の自分になにができるかわかったきがする。
”お父さんはふじかがハワイに行っても、沖縄にいても、いつもふじかの一番の幸せをねがっているから”
と一番寂しいはずのお父さんが一生懸命むすめを理解しようとしてくれている姿が何とも言えなくてまた泣いた。
お父さん、ありがとう。お父さんがふじかのお父さんで本当によかった。”
周りが何と言っても
自分の人生は自分で考える必要がある。
そのときは大変だけど、あとで後悔しないように一生懸命考える必要がある。
悩んで悩んで悩んで決めたらあとは後ろを振り向かない。
”最善はこれから”
”しあわせは自分できめる”
一生懸命幸せにならないとお父さんにもお母さんにも失礼だから。
と何度も言い聞かせて。
お父さん、お母さん、
あんだけ泣いて、心配かけてきたけど
ふじかは今とっても幸せです。
そしていつかお父さんみたいに自分の決意を自分の娘に話すときは
”デビンと結婚できてよかった”
って胸はって自慢したいよ。
あれだけ大変だったけどあれは正解だった!ってね。
そんなことを考えているとあっという間に夕方。
そろそろ働き者だんなさんがかえってくるので夕食の準備でもはじめるか。
レパートリー少ない夕食メニューだけど
あるものつかってちょっとがんばってみよう。笑
Read More
今日は学校も休み&仕事もお休みになったということで朝から珍しく早朝ジョギングに炊事洗濯に命をかける学生妻。
ひさしぶりにこんなにゆっくりした週末を迎えることになんか違和感がありながらもひとりゆっくり掃除機をかけ、洗濯物をたたんで、食事作り。
なんだかんだで充実した午前中をすごし、時間があったので部屋の片付けにはげむ。
そんななかで昔なつかし半年前に最後に書いた日記帳を発見。
中をひろげて読んでいるといろいろ複雑な思いがよみがえってきた。
結婚を決意するまえの涙の日記。
一人っ子としての不安と戦っているすがたがたくさん書かれていた。
”11月15日
昨日、自分の決意を勇気を出してお父さんとお母さんに話した。お母さんもお父さんもふじかの決意にまかせる。といってくれたけど、電話越しでお母さんがずっと泣いていた。”娘の結婚を心から祝ってあげたいけどそれがハワイとなるととても寂しくなること。ふじかが忙しいとき、病気のとき、子供が生まれてもなかなかふるさとに帰ることができないんじゃないかと。
大切な一人娘をハワイに見送るってどういう気持ちなんだろう。きっと親になってみないとわからないんだろうな。
どんなに娘の選択を信じて自分たちの夢をあきらめたって言っていてもやっぱりつらいんだろうな。
どんなに応援してくれていることを知っても、世界一わたしのことを愛し、見守り、助けてくれた人の涙を目の前にするとどれだけ自分は最低な娘なんだろうと一人泣いた。”
”12月31日
久しぶりに迎える日本での年明け。
2012年最後の日はおばあちゃんの家でおせちの準備に終わる。その中でもんもんと自分の結婚という選択が本当に正しいことなのかずーっと考えていた。
まわりの人たちに私の結婚のこと、(国際結婚+ひとりっ子となると)を反対され、落ち込んでいた。
わたしをここまで育てるために両親がどれだけたくさんの犠牲をはらってきたかわかってるの!?と何人もの人に言われ、目がぱんぱんになるまで泣いた日本で過ごした2週間の年末やすみ。お母さんとお父さんの老後は誰が面倒みるの?なにかあったらすぐに来れるの?と。
何度も自分は親不孝の娘だと攻めつづけた一年。
沖縄でも同じ質問を投げつけられやっぱり悔しくてひとりわーわー泣いた。
夕方、お父さんが一緒に買い物にいこうと言ってきた。かねひで(近くのスーパー)でスパムがセールしてるということで一緒に買ってこようと。
買い物の帰り道、お父さんがお母さんと結婚したときの話をしてくれた。お父さんもお母さんもおじいちゃんの反対が大変で結婚の許可がおりるまで2年ぐらい待ったこと、その間におじいちゃんが病気したり、経済的な問題にあったりでなにひとつ計画どおりにいかなかったこと。でもお母さんとの結婚だったからこそあきらめないでその日を待てたと。
あれだけ待ったけど今その後悔は何一つないと言うことを話してくれた。
”大変だったけど正直、あの時間に感謝してるよ”
”おかげでもっともっとお母さんのことを尊敬できるようになった”と。
”お父さんはお母さんと結婚して本当によかったよ”といつもはこんなこと口にしないお父さんがこんなにお母さんのことを話している姿をみたのは、はじめてだった。
”だから、ふじかもデビンといっしょに結婚の準備をたのしみなさい。まわりが何と言ってもふたりが本当にそうしたいならそれを実行しないと後悔するよ。”と。
小さい頃からお父さんはふじかがなにも言わなくてもふじかの泣いている理由を知っている人だった。ふじかに何が必要なのか言わなくてもわかってくれる人だった。日本での2週間、現実と自分の気持ち、周りの人たちの意見にいっぱいいっぱいになって本当に苦しい時間だったけど、お父さんとこうしてはなせたおかげで今の自分になにができるかわかったきがする。
”お父さんはふじかがハワイに行っても、沖縄にいても、いつもふじかの一番の幸せをねがっているから”
と一番寂しいはずのお父さんが一生懸命むすめを理解しようとしてくれている姿が何とも言えなくてまた泣いた。
お父さん、ありがとう。お父さんがふじかのお父さんで本当によかった。”
周りが何と言っても
自分の人生は自分で考える必要がある。
そのときは大変だけど、あとで後悔しないように一生懸命考える必要がある。
悩んで悩んで悩んで決めたらあとは後ろを振り向かない。
”最善はこれから”
”しあわせは自分できめる”
一生懸命幸せにならないとお父さんにもお母さんにも失礼だから。
と何度も言い聞かせて。
お父さん、お母さん、
あんだけ泣いて、心配かけてきたけど
ふじかは今とっても幸せです。
そしていつかお父さんみたいに自分の決意を自分の娘に話すときは
”デビンと結婚できてよかった”
って胸はって自慢したいよ。
あれだけ大変だったけどあれは正解だった!ってね。
そんなことを考えているとあっという間に夕方。
そろそろ働き者だんなさんがかえってくるので夕食の準備でもはじめるか。
レパートリー少ない夕食メニューだけど
あるものつかってちょっとがんばってみよう。笑
2013年9月20日金曜日
国際結婚2週間目
9月20日(金)
国際結婚2週間目。
毎日があっというますぎて
2週間もたったのが嘘のような毎日だけど
相変わらず毎日が大忙し。やっと家の片付けが終わったというのに
私はまだ学生ということもあり、朝からクラスや宿題に終われ一日があっという間に終わる。
そんな中、今日も家に帰宅すると働き者だんなさんが食事の準備、洗濯物たたみを終えて迎えてくれた。
仕事が早く終わったからビーチで泳いできたとかなんとか。半乾きのタオルがランダムに玄関に置き去りになっていると思いきや夕食の炊けたいいにおいが部屋いっぱいにひろがっている。
こんな贅沢があっていいのか。
私:”あーーーあ。こんな幸せがあっていいのかなー。ありがとーデビン”
デビン:”一応ハネムーンの間だけだからね。今月だけかもしれないよー笑”
と笑いながら食事をテーブルに持ってきてくれて一日のできごとをはなしながらデビンがつくってくれたかわいいオムレツを食べ元気を充電。
”今日宿題ある?”と。
”もちろん山盛りだよー”というと
ぱっとたちあがり”You do homework, and I wash dishes!” といって引き続きお茶碗をあらいだす働き者のだんなさん。
こんな姿をみながらいち日本人妻として申し訳ない気持ちとありがたい気持ちでいっぱいいで宿題をスタート。
そういえば私が初めてでびんの家族にあったとき一番関心したのはデビンのお父さんの働き者ぶり。とても謙虚で、いつも腰が軽く、お母さんがお願いすることをよろこんで行うすてきなお父さんだった。
日本でみてきた中年男性はいつも女性につくしてもらう亭主関白タイプが多かったので台所に立つデビンのお父さんをみたときとても感動したのを覚えている。
デビンもいつかこういうおじさんになるのかなーと考えたことがあった。
正直、それがあこがれだったな。そんなデビンのお父さんをみて
ふとデビンとみる未来が楽しみになったのを思い出した。
結婚2週目にして尻に敷いているようで申し訳ないけど(笑)
”こんなに働き者のハズバンドをもってしあわせだなー。”と なんだか笑顔になれる一日だった。
”ありがとね。でびん。こんなにすてきなハズバンドもってふじかは幸せです!”
と言うと、てれながらもうれしそうにフライパンを洗うデビンを眺めながら、引き続き学業に励む学生妻。
ありがとーでびん、仕事でつかれているはずなのにね。
ま、これがほんの一ヶ月しか続かなくてもよしとしよう。笑
こんなにいい時間を過ごさせてもらった2週間。妻もこれから見習いとしてがんばっていきますので気長におねがいね。
Read More
国際結婚2週間目。
毎日があっというますぎて
2週間もたったのが嘘のような毎日だけど
相変わらず毎日が大忙し。やっと家の片付けが終わったというのに
私はまだ学生ということもあり、朝からクラスや宿題に終われ一日があっという間に終わる。
そんな中、今日も家に帰宅すると働き者だんなさんが食事の準備、洗濯物たたみを終えて迎えてくれた。
仕事が早く終わったからビーチで泳いできたとかなんとか。半乾きのタオルがランダムに玄関に置き去りになっていると思いきや夕食の炊けたいいにおいが部屋いっぱいにひろがっている。
こんな贅沢があっていいのか。
私:”あーーーあ。こんな幸せがあっていいのかなー。ありがとーデビン”
デビン:”一応ハネムーンの間だけだからね。今月だけかもしれないよー笑”
と笑いながら食事をテーブルに持ってきてくれて一日のできごとをはなしながらデビンがつくってくれたかわいいオムレツを食べ元気を充電。
”今日宿題ある?”と。
”もちろん山盛りだよー”というと
ぱっとたちあがり”You do homework, and I wash dishes!” といって引き続きお茶碗をあらいだす働き者のだんなさん。
こんな姿をみながらいち日本人妻として申し訳ない気持ちとありがたい気持ちでいっぱいいで宿題をスタート。
そういえば私が初めてでびんの家族にあったとき一番関心したのはデビンのお父さんの働き者ぶり。とても謙虚で、いつも腰が軽く、お母さんがお願いすることをよろこんで行うすてきなお父さんだった。
日本でみてきた中年男性はいつも女性につくしてもらう亭主関白タイプが多かったので台所に立つデビンのお父さんをみたときとても感動したのを覚えている。
デビンもいつかこういうおじさんになるのかなーと考えたことがあった。
正直、それがあこがれだったな。そんなデビンのお父さんをみて
ふとデビンとみる未来が楽しみになったのを思い出した。
結婚2週目にして尻に敷いているようで申し訳ないけど(笑)
”こんなに働き者のハズバンドをもってしあわせだなー。”と なんだか笑顔になれる一日だった。
”ありがとね。でびん。こんなにすてきなハズバンドもってふじかは幸せです!”
と言うと、てれながらもうれしそうにフライパンを洗うデビンを眺めながら、引き続き学業に励む学生妻。
ありがとーでびん、仕事でつかれているはずなのにね。
ま、これがほんの一ヶ月しか続かなくてもよしとしよう。笑
こんなにいい時間を過ごさせてもらった2週間。妻もこれから見習いとしてがんばっていきますので気長におねがいね。
2013年9月8日日曜日
ハイサイ!
プロフィール
金城富士香(25)
沖縄県那覇市出身
父、山形と沖縄のハーフ(?)
母、純沖縄人。
そしてアメリカのユタ州にて1年半、(University of Utahに入学)
その後ハワイの大学に編入し1年間勉強したあと、
大学を休学してカリフォルニア、オークランドにて1年半のボランティア活動。
その後ハワイに戻り、ブリガムヤング大学で国際教養学コミュニケーション&Peace Buildingを専攻中。
在学中に出会った日系アメリカ人と2013年9月6日に結婚し、のこり半年で大学卒業予定。
小学校6年生のころからブリトニースピアーズに興味をもちだし(笑)母に頼んで公文式にて英語学習をスタート。中学校、高校と部活に専念しすぎて自分さがしをいざはじめたのは高校卒業直前。
幼いころ夢見た海外での生活をどうしてもわすれられず
なにもかもがてさぐりの中、まさかの渡米。
その後、学校を休学してボランティアのためカリフォルニアのベイエリアを回って1年半をすごし、大学に復学。
人生やるきがあれば何でもできる!
ということを身をもって実感し、たくさんのいい出会いと経験、自分を見つめあった時間を生かしたいと思い大学の専攻を福祉から国際教養に変更。
1人っ子で泣き虫ふじか。こんな私を一番近くで見守り、励まし、信じてくれた両親。わたしのことを一番知っているはずなのに、こんな私の可能性を信じて海外に送ってくれた両親の勇気と理解に感謝。
アメリカ人とはぜったいにぜったいに結婚しないとあれだけ誓っていたのに
落ちてしまうものが恋。(笑)
ただ、見た目も名前も沖縄人、日本語も上手に話せる彼との出会いで自分の人生にもっと可能性を見出し、1年半の交際の末2013年9月6日にDevin・Nakamaの妻になる。
まさかのお互いに1人っ子ということで
1人っ子としての責任感と将来への不安、経済的な心配や文化の違い、数え切れない不安との戦いに何度も押しつぶされそうになった中、
やはり最終決断をまかせてくれた両親とデビンの理解のおかげで自分自身で結婚を決意し今にいたる。
日本人として、沖縄人として、金城富士香として、その決断とその後の経験がもっと私自身の人生を豊かにしてくれるように、また、その決意を忘れずに前向きに人生を送れるように、このブログにてアイディアを公開していこうと思う。
登録:
投稿
(
Atom
)